【顔画像】安福久美子は何者?動機は夫・悟への好意が理由?学歴・経歴と結婚した旦那・子供、自宅住所、勤務先まで徹底特定

2025年11月2日、世間を震撼させるニュースが飛び込んできました。

1999年11月13日に発生し、26年もの長きにわたり未解決となっていた「名古屋市西区主婦殺害事件」。

この事件で、ついに容疑者が逮捕されたのです。

逮捕されたのは、名古屋市港区在住のアルバイト・安福久美子(やすふく くみこ)容疑者(69)。

衝撃的なのは、安福容疑者が殺害された高羽奈美子さん(当時32歳)の夫・悟さん(69)の「高校の同級生」だったという事実です。

なぜ事件から26年も経って逮捕に至ったのか。

安福久美子容疑者とは一体何者で、動機は何だったのでしょうか。

この記事では、安福容疑者の顔写真、プロフィール、被害者の夫との関係、動機の可能性、自宅住所、家族(夫・子供)、勤務先、そしてネット上でささやかれる「在日韓国人」という噂の理由まで、現在の情報を徹底的に調査し、まとめます。

目次 Outline

名古屋市西区主婦殺害事件の犯人逮捕、高羽奈美子さん殺害から26年の急展開

26年ぶりに動いた未解決事件の概要

事件が発生したのは、1999年11月13日の午後でした。

愛知県名古屋市西区稲生町のアパートで、この部屋に住む主婦・高羽奈美子さん(当時32歳)が、首などを刃物で複数回刺され、血を流して倒れているのが発見されました。

第一発見者はアパートの大家さんでした。

当時、奈美子さんのそばには、まだ2歳だった長男の航平(こうへい)さんがいましたが、幸いにも無事でした。

現場には犯人のものとみられる血痕や足跡(韓国製の婦人靴)が残されていましたが、捜査は難航。

愛知県警はのべ10万人近い捜査員を動員しましたが、事件は「コールドケース(長期未解決事件)」となっていました。

しかし2025年10月31日、事件は発生からまもなく26年を迎える直前に急展開を迎え、安福久美子容疑者(69)が殺人容疑で逮捕されました。

被害者・高羽奈美子さん(当時32歳)とは

被害者となった高羽奈美子さんは、当時32歳。

夫の悟さん、当時2歳の長男・航平さんとアパートで暮らしていました。

夫の悟さんによれば、奈美子さんは穏やかな性格で、恨みを持たれるような人では全くなかったといいます。

事件当日は、航平さんの体調不良のため、午前中に小児科医院を訪れていたことが確認されています。

夫・高羽悟さんが守り続けた事件現場

この事件が注目され続けた理由の一つに、夫・悟さん(69)の執念があります。

悟さんは「事件の風化が一番怖い」「いつか犯人が捕まった時に現場検証ができるように」と、事件が起きたアパートの部屋を、事件当時の状態のまま26年間も借り続けてきました。

その家賃総額は、2024年時点で2193万円にも上ると報じられています。

「妻の死を無駄にしたくない」という思いで、殺人事件の時効撤廃を求める遺族会「宙(そら)の会」の活動にも参加してきました。

当時2歳だった長男の航平さん(現在27歳)は、2025年11月11日に結婚するという、家族にとって喜ばしいニュースもありました。

悟さんは逮捕の一報に「とにかくほっとした」「(警察に)感謝している」と語っています。

逮捕された犯人・安福久美子容疑者とは誰か?その経歴を調査

安福久美子容疑者のプロフィール

今回、殺人容疑で逮捕された人物の情報をまとめます。

  • 名前: 安福 久美子(やすふく くみこ)
  • 年齢: 69歳(2025年時点)
  • 居住地: 愛知県名古屋市港区東海通
  • 職業: アルバイト
  • 血液型: B型(過去の捜査情報と一致)

2025年10月30日に自ら出頭

逮捕のきっかけは、安福容疑者本人による「出頭」でした。

2025年10月30日の午後、安福容疑者は一人で愛知県警西警察署(捜査本部が置かれている署)を訪れたとのことです。

警察が、事件現場に残されていた犯人のものとみられる血痕のDNA型と、安福容疑者のDNA型を照合したところ、一致が確認されました。

これを受け、翌10月31日に逮捕に至りました。

警察の調べに対し、安福容疑者は「あっています」と容疑を認める供述をしていると報じられています。

安福久美子容疑者の動機は夫・悟さんへの好意か?同級生でソフトテニス部、バレンタインチョコの過去

衝撃の関係性「被害者の夫の同級生」

最も衝撃的な事実は、逮捕された安福容疑者と、被害者の夫・高羽悟さんとの関係性です。

二人は、高校時代の同級生でした。

さらに、二人とも同じ「軟式テニス部(ソフトテニス部)」に所属していたことも明らかになっています。

夫・悟さんが語った高校時代の思い出(手紙とバレンタインチョコ)

夫の悟さんは、警察から容疑者の名前を聞かされ、驚きを隠せなかったといいます。

悟さんの記憶によれば、高校時代、安福容疑者から「好きです」という内容の手紙をもらったことがあったそうです。

また、バレンタインデーにチョコレートをもらった記憶もあると語っています。

悟さんは当時、その好意には応えなかったとのことです。

大学時代にも、悟さんのテニスの試合に、安福容疑者が他の友人と数人で応援に来ていたこともあったといいます。

高校時代:2度のバレンタインと一方的な想い

「久美ちゃん(安福容疑者)が悟のことを好きだという事は、テニス部の皆が知っていました」。
当時のソフトテニス部部長がそう証言するように、彼女の恋心は周囲にも明らかでした。
悟さん自身も、その「重い」想いには気づいていました。

逮捕後、刑事に「悟さんの関係者です」と告げられた際、悟さんが即座に「高校の同級生?」と答えられたのには、明確な理由がありました。
「なぜなら彼女から何度も告白されたことがあったから」です。
具体的には、「確か高校2年と3年で連続して手紙付きのバレンタインチョコを貰ったんですよね」と悟さんは述懐しています。

しかし、悟さんはその想いに応えることができませんでした。
残酷なことに、悟さんが当時好意を寄せていたのは、安福容疑者が「いつも一緒にいた親友」の女性だったのです。
そのことを正直に告げるわけにもいかず、悟さんは「キッパリ言わず、やんわり断っていたんです」と語ります。
この曖昧な態度が、彼女の執着を断ち切れなくさせた一因となった可能性は否定できません。

大学時代:ストーカー行為と喫茶店での号泣

高校を卒業し、悟さんは私立愛知大学へ、安福容疑者は1浪の末、愛知県立大学へ進学します。
普通ならば、ここで関係は途切れ、それぞれが新しい人生を歩むはずでした。
しかし、安福容疑者の執着は、終わっていませんでした。

「彼女が僕のテニスの試合を見に来ていたようなんです」と悟さんは語ります。
友人から「お前の試合に引っ付いて応援している女がいるぞ」と聞かされ、悟さんはその存在を認識していました。
しかし、悟さんは「そんなことをしたら、ややこしい事になると思ったから」と、彼女に声をかけることは一切しませんでした。

それでも安福容疑者の行動はエスカレートします。
ついには、悟さんの通う大学まで押しかけ、テニスの練習が終わるまで待ち伏せするという、ストーカーとも取れる行為に出たのです。
これが起きたのは1975年、安福容疑者が浪人中、悟さんが大学在学中のことでした。

無下に帰すわけにもいかず、悟さんは彼女を大学近くの喫茶店に連れて行きました。
そこで、改めて彼女の気持ちに応えられないことを告げます。
「やっぱり君の気持ちには応えられないよ」。
その言葉を聞いた途端、安福容疑者は人目も憚らず、突然号泣し始めました。
悟さんは「大学まで勝手に押しかけて来て、なんで泣かれなきゃいけないんだよ……」と、その異様な光景に困惑するしかありませんでした。
この出来事を、悟さんは「よほど驚いたんでしょうね。兄は家でそのことを喋っていました」と妹が証言するほど、強く記憶していました。

この喫茶店での一件以来、安福容疑者が悟さんの前に姿を見せることはなくなりました。
しかし、それは彼女が諦めたことを意味しませんでした。
拒絶されたという強烈な体験は、彼女の中で「恋心」を「怨念」や「執着」へと歪ませ、24年もの間、心の奥底で燻り続けることになったのではないでしょうか。

事件前年(1998年)のOB会での再会1999年6月の「引き金」

高校卒業後、長らく接点はなかったものの、事件が発生する前年(1998年)、テニス部のOB会で二人は久しぶりに再会していました。

その際、安福容疑者から「結婚して頑張ってるよ」と近況を聞いた程度で、深い話はしなかったと悟さんは振り返っています。

このOB会から約1年後、奈美子さんが犠牲となる事件が発生したことになります。

平穏だったはずの彼女の人生に、再び高羽悟さんが現れます。
1999年6月、ソフトテニス部のOB会が開かれました。
喫茶店での号泣事件から、実に24年近くが経過しての再会でした。

悟さんは、この時の安福容疑者の変貌に驚いています。
「おとなしい印象だった彼女が、自分から明るく話しかけてきたので、大人になって性格が変わったんだなぁと思っていたんです」。
安福容疑者は、悟さんに対し、笑顔でこう話しかけたといいます。
「私も結婚して、子育てしながらバリバリ働いて、結構大変なんだよ!」。
悟さんは、特に何も疑うことなく「それは良かった。頑張ってね」と応じました。

このOB会は、20人ほどの小ぢんまりとしたもので、何事もなく終わりました。
しかし、この再会こそが、奈美子さん殺害事件の直接的な「引き金」となった可能性が極めて高いのです。
悟さんにとっては「昔の同級生」との何気ない会話に過ぎませんでした。
しかし、安福容疑者にとっては、24年間心の奥底に封じ込めていた悟さんへの執着が、一気に再燃する瞬間だったのかもしれません。

彼女は「私も結婚してバリバリ働いている」と、自らの「幸せ」をアピールしました。
ですが、その言葉とは裏腹に、彼女が本当に欲しかった「悟さんとの幸せ」を手に入れている奈美子さんの存在を、この再会によって具体的に認識してしまったのではないでしょうか。
幸せそうな悟さんの顔を見たことで、彼女の中で「嫉妬心」や「独占欲」が、制御不可能なレベルで膨れ上がったと推察されます。
そして、このOB会からわずか5カ月後、彼女は奈美子さんのもとへ向かい、あの凶行に及んだと見られています。

事件翌年:「鉛筆が当たって」激高した粘着質な素顔

事件後も、彼女は名古屋市港区のマンションで「普通の主婦」としての生活を続けていました。
しかし、その日常の中で、彼女の「もう一つの顔」が垣間見える出来事が起きています。
事件翌年の2000年4月、次男の小学校の入学式でのことです。

安福容疑者の次男と同学年の子を持つ女性が、当時の異様な体験を証言しています。
「小学校の入学式の日、うちの子が安福さんの子どもを、鉛筆で軽く突っついてしまったんです」。
子供同士のよくあるトラブルで、大した怪我にはならなかったといいます。
ところが、「安福さんが激高して、学校を通じて私に『謝りに来い』と仰いまして」と、事態は大袈裟なものになりました。

この女性は、菓子折り(メロン)を持参し、安福容疑者のマンションまで謝罪に訪れました。
「ウチの子もわざとじゃないんです。病院代も全部出しますので……」。
そう言って平謝りしましたが、安福容疑者はまったく聞く耳を持たず、メロンの受け取りさえ拒否してこう言い放ったのです。
「別に血が出ているわけじゃないから結構です!」。
最終的にはメロンを受け取ったものの、関係は修復不可能なほどこじれました。
「その後も学校の行事等で顔を合わせましたが、目も合わせてくれません。ずいぶん粘着質な人だなと思っていました」。

この「鉛筆事件」のエピソードは、彼女が単に「大人しい」だけの人間ではなかったことを強く示唆しています。
自分の子供が受けた(と彼女が感じた)些細な出来事に対し、異常なまでに激高し、相手を執拗に責め立てる姿。
この「粘着質」で「激高しやすい」側面は、高羽悟さんへの異常な執着や、その妻である奈美子さんへの凶行と、無関係であるとは到底思えません。
学校行事には積極的に参加し、「教育熱心」と評される裏で、彼女は非常に強烈なこだわりと、歪んだ正義感を抱えていた可能性がうかがえます。

被害者の奈美子さんとの面識はなかった可能性

夫の悟さんは、妻・奈美子さんと安福容疑者について「面識はなかったと思う。接点はなかった」と話しています。

もし二人に面識がなかったとすれば、安福容疑者が一方的に奈美子さんの存在を知り、何らかの感情を募らせた可能性が考えられます。

高校時代の好意が、20数年の時を経て、同級生の妻である奈美子さんに向けられたのでしょうか。

警察は、安福容疑者が悟さんに一方的な好意を抱き、その妻である奈美子さんを殺害した可能性も視野に、動機の解明を慎重に進めています。

安福久美子容疑者の素顔:「大人しい子」の内に秘めた異常な執着

逮捕された安福久美子容疑者とは、一体どのような人物だったのでしょうか。
「まさか、あんな大人しい子が……」。
悟さんだけでなく、彼女を知る多くの同級生がそう口を揃える人物像と、彼女が起こしたとされる凶行との間には、あまりにも深い溝があります。

彼女は1956年、名古屋市で2人姉妹の長女として生まれ育ちました。
1972年春、県立惟信高校に入学し、そこで悟さんと出会います。
高校の同級生は、当時の彼女について「凄く大人しい人で、あんまり人と喋らない印象がある」と証言しています。
しかし、同時に「でも、すごく感じがいいから、彼女のことを好きになる男子がいてもおかしくないと思っていた」とも語っており、物静かながらも悪い印象は持たれていなかったようです。

彼女は、悟さんと同じソフトテニス部に所属していました。
この部活動での接点が、彼女の人生を狂わせる一方的な恋心の始まりとなります。

安福久美子容疑者は何者?出身高校や大学などの学歴・経歴まとめ

出身高校は夫と同じソフトテニス部

前述の通り、安福容疑者の出身高校は、高羽悟さんと同じ高校であると報じられています。

具体的な高校名は公表されていませんが、名古屋市内の高校で、二人ともソフトテニス部に所属していたことは間違いありません。

出身大学や詳細な経歴は?

安福容疑者の高校卒業後の学歴(大学など)や、これまでの詳しい職歴については、現在のところ報道されていません。

1998年のOB会で「仕事もして頑張ってる」と話していたとの証言はありますが、具体的な内容は不明です。

逮捕時の職業は「アルバイト」とされています。

安福久美子容疑者の勤務先はどこ?職業はアルバイトと報道

職業は「アルバイト」と報道

2025年10月31日の逮捕時、安福久美子容疑者(69)の職業は「アルバイト」であると報じられました。

69歳という年齢を考えると、年金受給世代ですが、何らかの形でパートタイムの仕事に従事していたとみられます。

具体的な勤務先は特定されている?

現時点(2025年11月2日)で、安福容疑者の具体的なアルバイト先や勤務先の名前、業種などを特定する情報は報道されていません。

近隣住民からは「町内会の組長をやっていた」という証言もあり、地域コミュニティには参加していたようですが、仕事に関する情報は出てきていません。

今後の捜査や報道で新たな情報が判明する可能性があります。

【追記】安福久美子容疑者の勤務先は大型スーパー店

安福久美子容疑者のアルバイトの勤務先が報道によって判明しました。安福久美子容疑者は日中、市内の大型スーパーで事務員のアルバイトをしていたとのことです。

具体的な店名は店舗の風評被害に繋がるため好評されていません。

安福久美子容疑者の顔画像が公開?週刊文春が卒業アルバムの写真を掲載

安福久美子 顔写真 卒アル 週刊文春オンライン[1]

週刊文春が報じた高校時代の顔写真

ニュース速報と同時に、多くの人が「安福久美子容疑者の顔写真」を検索しています。

「週刊文春オンライン」は、逮捕当日の2025年10月31日付(※記事は11月1日配信)で、安福容疑者の高校時代の卒業アルバムの写真を「独自入手」として掲載しました。

公開されたのは、個人写真と、ソフトテニス部の集合写真の一部とみられる画像です。

ただし、これらはあくまで週刊誌が報じたものであり、警察が公開した逮捕時の顔写真などではありません。

当時の同級生が語る人物像

週刊文春の取材に応じた同級生は、高校時代の安福容疑者について「大人しかった」としながらも、「クラスに女子が少なく目立たない子が多い中で、感じは良かった。彼女を好きになる男子がいてもおかしくなかったと思う」と証言しています。

この証言は、悟さんが「好意を寄せられていた」と語る内容とも一致する部分があります。

安福久美子容疑者の自宅住所は名古屋市港区、一軒家に居住か

安福久美子 自宅住所1[2]

自宅住所は名古屋市港区東海通と報道

安福容疑者の自宅は、愛知県名古屋市港区東海通5丁目であると報じられています。

事件現場となった西区稲生町のアパートからは、直線距離で約10kmほど離れた場所です。

10年前に「一軒家」へ転居か

報道によると、安福容疑者の自宅周辺の住民は、安福容疑者について「10年ほど前に、近くのマンションから現在の一軒家に家族で引っ越してきた」と話しているそうです。

逮捕時には、この一軒家から捜査員が段ボールなどを押収する様子も報じられました。

近隣住民が語る安福容疑者の評判

26年前の残忍な事件の容疑者として逮捕された安福容疑者ですが、近隣住民が語る人物像は、事件とは結びつかないものでした。

  • 「(安福容疑者は)町内会の組長をやっていた。優しい話しぶりで、事件を起こすような人には見えない」(60代女性)
  • 「何度か『おはようございます』とあいさつしたことがある。どこにでもいるおばあちゃんという印象」(28歳男性会社員)

これらの証言からは、少なくともここ10年は、地域に溶け込み、ごく普通の生活を送っていた様子がうかがえます。

安福久美子容疑者は結婚していた?夫や子供の存在について

結婚して夫はいた?

安福容疑者が結婚していたか、夫がいたかについては、確実な情報があります。

1998年(事件の前年)のテニス部OB会で、安福容疑者自身が悟さんに対し「結婚して頑張ってやってるよ」と話していたと証言されています。

また、近隣住民も「10年ほど前に家族で引っ越してきた」と話しており、結婚し夫がいた可能性は非常に高いです。ただし、逮捕時点で夫と同居していたかなど、現在の家族関係は不明です。

子供についての情報

子供の有無についても、1998年のOB会での発言や、近隣住民の「家族で」という証言から、子供がいても不思議ではありません。

しかし、現在のところ、安福容疑者の子供の年齢や人数など、具体的な情報は一切報じられていません。

プライバシーに関わる情報でもあり、捜査や事件に直接関係しない限り、公表されない可能性もあります。

【追記】夫は名古屋大学卒の一流企業勤務エリート

彼女が選んだ結婚相手は、名古屋大学経済学部を卒業した秀才でした。
身長170センチ台後半でスラッとした見た目の男性で、大学の同級生は「クソがつくほど真面目」「彼はエリートでしたね」と評しています。
卒業後は、愛知県内の一流自動車部品メーカーに就職。安定したエリート街道を歩んでいました。

安福容疑者は、1989年に長男、1993年に次男を出産します。
そして1994年、名古屋市港区にマンションの一室を購入しました。
事件現場となった西区のアパートからは直線距離で10キロほど離れた場所です。
「大人しい」高校時代からは想像もつかないほど、彼女は順風満帆な人生を手に入れたかのように見えました。

被害者・高羽奈美子さんの評判は?近隣住民からは好感度が高いとの声

26年前の事件当時の状況

被害者となった高羽奈美子さんは、当時32歳でした。

事件発生は平日の昼間(正午から午後1時の間と推定)で、アパートの自室でした。

室内が激しく物色された形跡はなく、奈美子さんはトレーナーにジーパン姿で倒れており、手の甲には抵抗した際にできるような傷(防御創)があったと報じられています。

夫・悟さんが語る奈美子さんの人柄

夫の悟さんは、奈美子さんの人柄について「穏やかで敵を作るような性格ではない」「恨みを持たれる相手など、全く心当たりが無い」と、事件当初から一貫して話しています。

捜査員も「アンタたちほど恨まれていない夫婦はいないわ」と頭を抱えるほどだったといいます。

こうした証言から、奈美子さんは周囲から好感を持たれる、ごく普通の優しい母親であったことがうかがえます。

安福久美子容疑者の罪状と予想される刑罰、時効撤廃が適用

逮捕容疑は「殺人罪」

安福容疑者の逮捕容疑は「殺人罪」です。

1999年11月13日ごろ、高羽奈美子さんの首などを刃物で複数回刺すなどして、失血死させた疑いが持たれています。

日本の刑法において、殺人罪の法定刑は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」と定められています。

2010年の公訴時効撤廃が適用

この事件は1999年に発生しました。当時の法律では、殺人罪の公訴時効は15年(2004年の法改正で25年に延長)でした。

もし法律が変わらなければ、この事件は時効が成立していた可能性が極めて高いです。

しかし、2010年4月、殺人罪などの公訴時効を撤廃する改正刑事訴訟法が成立・施行されました。

この改正法は、施行時にまだ時効が成立していない過去の事件にも適用されることになりました。

夫の悟さんら「宙(そら)の会」の活動が実を結んだ結果であり、この時効撤廃がなければ、26年後の逮捕はあり得ませんでした。

安福久美子容疑者が今になって出頭した理由はなぜ?DNA鑑定が決め手か

2025年に入り複数回の任意聴取

安福容疑者がなぜこのタイミングで出頭したのか。その背景には、愛知県警による地道な捜査があったようです。

捜査関係者によると、警察は2025年に入ってから、安福容疑者に対し複数回、任意で事情聴取を行っていたことが分かっています。

過去の捜査情報や関係者の洗い出しの中で、安福容疑者が捜査線上に浮上していたとみられます。

DNA型提出の「拒否」から「応諾」へ

任意聴取の際、警察は安福容疑者にDNA型の任意提出を求めていました。

しかし、安福容疑者は当初、このDNA型の提出を拒否していたといいます。

ところが、2025年10月に入り、安福容疑者は一転して任意の提出に応じました。

鑑定結果判明直前の出頭

警察がこのDNA型を鑑定した結果、現場の血痕と一致することが確認されました。

安福容疑者が出頭したのは、この鑑定結果が出る直前の10月30日でした。

DNA提出に応じた時点で、いずれ一致が判明すると観念したのでしょうか。

警察の捜査網が狭まっていることを察知し、自ら出頭する道を選んだ可能性が高いとみられています。

なぜ捜査は難航したのか?「B型の女」が26年間逃げ続けた背景

「血液型B型、40~50代の女」。
これほど明確な犯人像がありながら、なぜ捜査は26年もの間、停滞し続けたのでしょうか。
この点は、今回の事件における最大の謎の一つであり、当時の捜査の限界と、犯人の巧妙な潜伏生活を浮き彫りにしています。

第一に考えられるのは、当時の捜査手法の限界です。
1999年当時は、DNA鑑定技術が現代ほど飛躍的に進歩しておらず、データベース照合も限定的でした。
主な捜査は、被害者の交友関係や近隣住民への地道な「聞き込み」が中心でした。
しかし、前述の通り、奈美子さん自身の交友関係からは、容疑者となる人物は一切浮上しませんでした。

第二に、犯人と被害者家族との「接点のなさ」が挙げられます。
今回逮捕された安福容疑者は、被害者・奈美子さんとは全く面識がありませんでした。
彼女のターゲットは、あくまで「高校時代の同級生・高羽悟さん」であり、その妻である奈美子さんでした。
警察が奈美子さんの関係者をいくら捜査しても、安福容疑者にたどり着くはずがなかったのです。

さらに、当時の安福容疑者は、悟さんの生活圏とは全く異なる場所で、「普通の主婦」として生活していました。
彼女は結婚後、名古屋市港区にあるマンションに居住していました。
これは事件現場である西区のアパートからは直線距離で10キロほど離れています。
そこにはエリートの夫と二人の子供がおり、学校行事にも参加する「教育熱心な母親」としての顔がありました。
悟さんの「高校の同級生」という遠い過去の接点だけで、港区で暮らすこの主婦を結びつけることは、当時の捜査網では極めて困難だったと推察されます。

結果として、安福容疑者は「捜査線上に一度も浮上しない存在」のまま、26年間を過ごすことになったと考えられます。
彼女は、奈美子さんの命を奪った後も、事件現場からさほど遠くない名古屋市内の一角で、家族との「日常」を送り続けていたのです。

26年目の逮捕劇:一人の刑事の執念とDNA鑑定の結実

2024年4月、事態を動かす一人の人物が捜査本部に着任します。
愛知県警捜査一課・特命捜査係に配属された、新しい担当警部です。
悟さんによると、その刑事は「坊主頭で少し強面の」人物で、着任の挨拶で悟さんにこう宣言したといいます。
「私がいる間に絶対に犯人を捕まえます」

この力強い言葉は、長年希望を失いかけていたかもしれない悟さんにとって、どれほど心強い響きだったでしょうか。
この特命捜査係の警部は、有言実行の人でした。
彼はまず、保管されていた膨大な事件資料をゼロから精査し直しました。
そして、「詰め切れていない女がいるはず。1つ1つ潰していきます」と宣言し、地道な再捜査を開始したのです。

過去の捜査員とは明らかに熱量が違いました。
彼は悟さんのもとへ小まめに足を運び、過去の資料、特に悟さんの人間関係を示す名簿などを提示しては、「この人の連絡先を知らないか」と、一つ一つ丁寧に確認作業を進めていきました。
まさに、ローラー作戦です。

そして2025年夏頃、その地道な捜査線上に、ついに「安福久美子」という名前が浮上したのです。
「テニス部の名簿を刑事さんから見せられたのもちょうどその頃でした」と悟さんは振り返ります。
警察は、安福容疑者がかつて悟さんに一方的な好意を寄せていたという過去の事実に着目しました。

県警は、安福容疑者に対し、慎重に事情聴取を繰り返しました。
そして、捜査の核心である「DNAの提出」を求めました。
当初、安福容疑者はこれを拒否していたといいます。
しかし、狭まっていく捜査網と、自身の良心の呵責か、あるいは26年間の不安な生活からの解放を望んだのか。
2025年10月30日、彼女はついにDNAの提出に応じました。

結果は、現場に残された血痕のDNA型と一致
決定的な証拠が突きつけられた数時間後、安福久美子容疑者は自ら名古屋の西警察署に出頭し、殺人容疑で逮捕されました。
26年間止まっていた時計の針が、ついに動き出した瞬間でした。
それは、最新の科学捜査と、一人の刑事の「絶対に捕まえる」という執念、そして何よりも被害者家族の消えることのない想いが結実した瞬間だったと言えるでしょう。

26年間の潜伏生活と、悟さんの「問い」

事件を起こした後、安福容疑者は何を思い、どのように生きてきたのでしょうか。
警察の取調べに対し、彼女はこう供述しています。
「26年間、毎日不安だった。事件について新聞も見られなかった。だが、家族に迷惑をかけられないし、捕まるのが嫌だった」。

彼女は犯行後も、夫や子供たちと共に名古屋市内で暮らし続けていました。
2008年、夫の出向に伴い、一家は名古屋から遠く離れた山形県長井市に移り住みます。
「東日本大震災の頃、安福の夫は、自動車部品メーカーの関連会社の経営企画部長として、辣腕を振るっていた」と会社関係者は証言しており、夫は順調にキャリアを積んでいました。

震災の翌2012年、一家は再び名古屋に戻ります。
そして約8年前、住んでいたマンションを売却し、同じ港区内にある夫の実家(一軒家)に移り住みました。
約50坪の土地に延べ床面積約150㎡という立派な家で、安定した暮らしは続いていたように見えました。
安福容疑者自身も、日中は市内の大型スーパーで事務員のアルバイトをしていました。

しかし、その生活は、罪の意識からか、徐々に人目を忍ぶようなひっそりとしたものに変わっていきました。
近隣住民は、彼女の気配をほとんど感じていなかったと語ります。
「回覧板を回したり、町内会の集金の対応をしたりするのは、土日でも平日でもいつも旦那さん」。
「家から奥さんが出入りするのを見たことがないので、住んでいないのかと思っていたほど」。
彼女は、家族という殻の中に閉じこもり、社会との接点を極力断つことで、26年前の記憶と、いつか訪れるかもしれない逮捕の恐怖から逃れようとしていたのかもしれません。

2025年春先、近所の住民が「お花いりませんか?」と黄色い花が咲いた大きな枝を持って声をかけられる姿を目撃していますが、この時、彼女は自身に捜査の手が伸びているとは夢にも思わなかったことでしょう。

逮捕後の安福容疑者は、観念したように取調べには素直に応じているといいます。
26年間の重い秘密を抱え続けた彼女にとって、逮捕は「終わり」であると同時に、どこかで望んでいた「解放」でもあったのかもしれません。
11月4日、安福容疑者の妹は、報道陣の問いかけに「話すことはありません」とだけ答え、家の中に入っていきました。
この事件は、被害者家族だけでなく、加害者家族の人生にも、取り返しのつかない深い影を落としました。

逮捕の一報を受け、夫の悟さんは、犯人があの安福容疑者だったという事実に、まだ心の整理がついていない様子です。
「犯人が分からないときは、『透明人間』みたいに思っていましたけど、いざそれが分かってみると……」。
「犯行現場を思い出すと、『あの子が、ああいうことができるのかな』と思ってしまって、なかなか繋がらないんですよね」。
「大人しい同級生」の記憶と、「妻を惨殺した犯人」の姿が、彼の頭の中でどうしても結びつかないのです。

そして、悟さんは、安福容疑者に対し、26年間抱き続けてきた、最もシンプルで、最も重い問いを投げかけたいと語りました。
「凶行に走る理由が僕ら夫婦にありましたか」。
「奈美子を殺すほど僕があなたにひどいことをしましたか。彼女にはこう聞きたいです」。

高校時代の淡い恋心。それに応えなかったこと。
それが、24年の時を経て、何の罪もない妻の命を奪う理由になるのか。
この理不尽な問いの答えは、今後の法廷で安福容疑者自身の口から語られるのを待つしかありません。
ひとりの人間の歪んだ執着が、多くの人々の人生を狂わせたこの事件の真相究明が、今まさに始まろうとしています。

安福久美子容疑者が在日韓国人という噂は本当?デマの理由を解説

ネットで噂が広まった理由とは

逮捕報道直後から、ネット上の一部では「安福久美子容疑者は在日韓国人なのでは?」といった噂が流れました。

このような根拠のない噂が広まった背景には、いくつかの理由が考えられます。

過去の捜査情報「韓国製の靴」

最大の理由は、事件当時の捜査情報にあります。

事件現場には犯人のものとみられる足跡が残されており、その靴が「24センチの韓国製の婦人靴」であったと公表されていました。

この「韓国製」という情報が、犯人の国籍と結びつけられてしまった可能性があります。

また、「安福(やすふく)」という苗字が比較的珍しいことも、憶測に拍車をかけたかもしれません。

国籍に関する報道の事実は?

結論から言うと、安福久美子容疑者の国籍について、在日韓国人である、あるいは外国籍であると示すような事実は一切報じられていません。

もし外国籍であれば、逮捕報道の際に「韓国籍の~」などと報じられるのが通例ですが、そうした報道は皆無です。

「韓国製の靴」についても、当時は安価な輸入品として日本国内で広く流通していた可能性も高く、国籍と結びつけるのは早計です。

したがって、在日韓国人であるという噂は、現時点では全く根拠のないデマである可能性が極めて高いと言えます。

安福久美子容疑者逮捕に対するネット上の反応まとめ

夫・悟さんの26年間の執念への声

このニュースに対するネット上の反応として最も多かったのは、夫・高羽悟さんの26年間の行動に対する驚きと感動の声です。

  • 「26年間も現場のアパートを借り続ける執念がすごすぎる」
  • 「家賃2000万円以上…言葉にならない。本当に報われてよかった」
  • 「時効撤廃を訴え続けた遺族の勝利でもある」

悟さんの深い愛情と諦めない心が、この逮捕に繋がったと感じた人が多かったようです。

動機への関心と警察捜査への意見

また、動機に対する関心も非常に高まっています。

  • 「高校時代の片思いが動機だとしたら、あまりにも歪んでいて恐ろしい」
  • 「26年間、どんな気持ちで生きてきたんだろう」
  • 「なぜ奈美子さんだったのか、それだけが知りたい」

同時に、26年間逮捕に至らなかった警察の捜査に対し、「DNA提出を拒否された時点で、なぜもっと強く捜査できなかったのか」といった初動捜査や過去の捜査体制への疑問を呈する声も見られました。

まとめ:名古屋主婦殺害事件、26年越しの逮捕と今後の焦点

26年の時を経て、ついに容疑者逮捕という大きな節目を迎えた「名古屋市西区主婦殺害事件」。

逮捕されたのは、被害者の夫・高羽悟さんの高校の同級生であった安福久美子容疑者(69)でした。

高校時代に悟さんに寄せた好意が、20数年後に妻の奈美子さんへの凶行として向けられたのか。

警察によるDNA捜査の進展と、安福容疑者のDNA提出拒否から一転しての出頭という経緯も明らかになりました。

何よりも、26年間、事件現場を守り続け、犯人逮捕を信じ続けた夫・悟さんの執念が、この結果に結びついたと言えるでしょう。

安福容疑者は容疑を認めていますが、これから明らかになるであろう「動機」の解明が、事件の全容解明と、ご遺族の心の整理にとって最も重要な鍵となります。

今後の捜査の進展を、静かに見守りたいと思います。

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